にほんのあすぱらがはっしょうのち
日本のアスパラガス発祥の地碑
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日本のアスパラガス発祥の地碑 |
なぜ「発祥(はっしょう)の地」なの?
アスパラガスの歴史は意外に古く、もともとはヨーロッパが原産国で、紀元前からすでに作られ、食用されていました。しかし、日本で食べられるようになったのは明治期以後のことで、それも少ない数の缶詰(かんづめ)のホワイトアスパラガスが輸入されていた程度です。
それを日本で初めて作ることに成功したのが、ここ岩内町出身の農学博士・下田喜久三だったからです。
日本のアスパラガス
みなさんがよく「アスパラ]と呼んでいる緑色のひょろっとした野菜、あれの本当の名前が「アスパラガス」といいます。今ではどこにでも売られているアスパラガスですが、ゆり科の植物だということはあまり知られていないのではないでしょうか。
そのアスパラガスを日本で初めて作るすることに成功させたのが岩内町出身の農学博士・下田喜久三でした。研究の結果、1922年に寒冷な気候で育ち、食べることもできる新品種を開発したからです。そして翌年には現在の共和町に40ヘクタールの直営農場を設けて大規模に作り始め、それと同時に冷害対策として、周辺の農家に対して作ることをすすめました。
1924年には岩内町に日本アスパラガス株式会社をつくって、缶詰の生産を準備し、1925年に生産をはじめました。その品質・製法は、本家である外国品よりもすぐれていたそうで、全国的に高い評価を受け、その後海外へ輸出するまでになりました。
このように、岩内町とアスパラガスに深いつながりがあることから、それを記念して「発祥の地」としているわけです。ただし、岩内町はアスパラガスを作るにはあまり適した土地ではなかったようです。その後の大規模な生産、生産は喜茂別(きもべつ)町で行われるようになりました。そのため喜茂別町にも「アスパラガス揺籃(ようらん:始まりという意味)の地」という碑が建てられています。
現在ではどうなってるの?
岩内町からはじまった日本でのアスパラガスの生産は、その後多くの地域に広まっていき、道内でも。また長野県や九州でも作られています。しかし、やっぱり多いのは北海道で全国の生産量の約4分の1にもなっています。
また、日本アスパラガス株式会社は現在でも岩内町で操業しており、缶飲料の製造などを行っています。
アスパラ(日本のアスパラガス発祥の地関連)
【歴史】
1922 アスパラガスを作るのに
下田喜久三博士が成功
1923 共和町の農場での作り始める
1924 日本アスパラガス(株)を
岩内町に設立
1925 アスパラガス缶詰生産に成功
1929 喜茂別町で本格的に作り始める
1932 朝日アスパラガス缶詰(株)
喜茂別町に設立
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岩内町について
古くからニシン漁で栄えた町で、アスパラガスの発祥の地としても知られています。
【由来】硫黄(いおう)の流れる沢を意味するアイヌ語「イワウナイ」から
【人口】16,726人(2000年10月現在)
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