さっぽろのうがっこうえんぶじょうあと
札幌農学校演武場跡碑
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札幌農学校演武場跡碑
その他:現在の時計台
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札幌農学校って何?
札幌農学校(さっぽろのうがっこう)は北海道大学の前身となる学校で、あの「Boys,
Be Ambitious!」の言葉で有名なクラーク博士が最初の教頭を勤めました。
最初は開拓使(かいたくし)仮学校として東京に作られましたが1875年に札幌に移り、翌年に札幌農学校という名前に変わっています。農学校という名前ですが、農学のほかにも北海道の開拓のために必要な学問も広く教えられていました。
札幌農学校演武場
札幌のシンボルとして、観光名所にもなっている札幌市時計台ですが、これは札幌農学校演武場(えんぶじょう)として建てられたものです。クラークの後任のホイラー教頭が開拓使の考えをもとに計画し、1878年に完成、ここで武術の訓練が行われました。名前が「演武場」なのはこのためです。なお、正面にある文字は江戸時代後半から明治時代の政治家である岩倉具視(いわくらともみ)によって書かれました。
今のように時計がつけられたのは3年後の1881年。これにはアメリカ・ボストン市のハワード社で作られたふり子式大時計が使われました。1903年には札幌農学校が現在の北海道大学の場所に移ったため、公会堂として利用されるようになります。さらに3年後には札幌市(当時は札幌区)の所有となり、この時に現在地に移されました。
その後、時代とともにさまざまな目的に使われ、太平洋戦争中は軍隊で使われたこともありましたが、多くは教育・文化などのために利用されています。
現在はどうなってるの?
1961年には札幌市文化財の第1号、1970年には国の重要文化財にも指定され、この歴史的な建物を残こそうという動きがおこりますが、一方で傷みもはげしく、大がかりに直さなくてはならない状態でした。そのため1995年から保存修理事業が始められ、1998年10月に再び公開がされるようになりました。それにあわせて「時計台創建120年記念事業」も盛大に行われました。しばらく見ることのできなかった時計台もお色直しされて、再び観光客の目を楽しませています。
札幌農学校演武場
【場所】(現在の札幌市中央区北2西2)
【歴史】1878年10月16日完成
1878 札幌農学校演武場が完成
1881 時計塔を設置
1903 札幌農学校移転、公会堂に転用
1906 札幌区に移管
1911 図書館として使用
1943 軍施設として使用
1945 商工会議所事務所などに使用
1950 札幌市図書館になる
1961 札幌市文化財第1号に指定
1970 国指定重要文化財に指定
1978 札幌歴史館となる。創建100年
1996 日本の音風景百選に認定される
1998 保存修理が完了、公開再開
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札幌市について
【由来】アイヌ語の「サッ・ポロ」(かわいた広いところ)、または「サリ・ポロ・ペッ」(大きな湿地のあるところ)から
【人口】1,861,431人(2004年1月現在)
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