東川駅跡碑 |
東川駅って?
現在、旭川と東川を結んでいる旭川電気軌道のバスは、名前のとおり、以前は軌道(=鉄道)の会社で、その終点の駅として作られたのが東川駅です。現在は鉄道のない町になってしまいましたが、当時は大変重宝されていました。東川線と呼ばれたこのルートは現在のJR旭川四条駅付近を始まりとして四条通りを進み、ダイエーを通って東川へと向かっていました。
旭川電気軌道
旭川電気軌道が開通したのは1927年2月で、最初はすこし短く、旭川追分駅と十号駅の約8kmでした。すぐ後に東川駅までつながります。そして廃止まで50年近くの間、住民や農産物などの輸送に利用されていました。またその他に旭川郊外の旭山へと向かう旭山線も作られています。
途中、1949年の3月に旭川追分駅にあった車庫で火事があり、所有していた6両のうち5両が消失するという事件がありました。残ったのは、東川駅に停めてあった1両だけです。そのせいで一時は廃止も検討されたといいますが、住民の要望もあって軌道を残すことになりました。しかし肝心の電車がないので、しばらくは1両のみで運行し、その後札幌市から古い2両を借り受けて営業しました。待望の新車が届いたのは9月になってからです。
廃止の危機を乗り越えて、順調に伸びていた業績も、自動車の普及には勝てませんでした。利用者数が減っていくのに加えて、軌道が自動車の邪魔になるという声が増えていきます。さらに当時の国鉄の線路の高架化が決まり、地上を走る電車との貨物の連絡が難しくなることもあって、1973年に惜しまれつつ廃止になりました。また、それによって、東川町内の唯一の鉄道もなくなってしまいました。
現在はどうなってるの?
東川駅の跡は立派な石碑が建てられているほかに、当時のホームもそのまま残されています。駅舎はすでにありませんが、この町にあった唯一の鉄道として大切にされているようで、東川町郷土館には旭川電気軌道関係の資料のほか車両も保存されています。
また、その他の旭川電気軌道の跡としてはほとんどなく、旭川市内で移転使用されている旧旭川追分駅舎などしかありません。駅舎や軌道は解体・撤去されています。
旭川電気軌道
【歴史】1927年開通 1973年廃止
1927 旭川追分〜十号開通(2月)
〜東川開通(3月)
1929 旭川四条〜旭川追分開通
旭川追分〜東旭川市街開通
1949 火災により車両焼失
東川駅留置の1両のみ残る
1973 全線廃止
【主な駅】
旭川四条、旭川追分、旭正、東川
旭山公園
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東川町ついて
大雪山国立公園の一部を含み、自然豊かな町で、最近は写真甲子園の開催地としても有名です。
【由来】日の川、または東の川を意味するアイヌ語からの意訳
【人口】7,567人(2003年1月現在)
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