いとむかこうざんはっしょうのち
イトムカ鉱山発祥之地碑
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イトムカ鉱山発祥之地碑 |
イトムカってどこ?
「イトムカ」ということばを知っていますか。知らない人が多いのではないかと思いますが、古くから北海道に住んでいたアイヌのことばで「光り輝く水」という意味だそうです。
その「イトムカ」と名付けられていたのは、北見市留辺蘂町のはずれ、国道39号の石北峠の手前からさらに北の山奥に入ったところ。そこにあったのが水銀鉱山のイトムカ鉱山でした。
イトムカ鉱山
鉱山がはじまるきっかけとなったのは1936年の暴風雨でした。多くの木々が倒れる被害があり、その木を運び出すための作業をしている時に、辰砂(しんしゃ)が発見されたことで注目を集めることになりました。辰砂というのは赤い色をした鉱物で、水銀の原料となります。
この発見から、当時の野村財閥による開発計画が進められ、1939年には会社を作って本格的に水銀の生産を開始しました。水銀は兵器製造に使われていたことから、戦争中は増産がすすめられ、東洋一をほこる規模になりました。周辺には従業員とその家族の住宅や学校などの公共施設がたくさん並んでいたそうです。ただ、発展の一方で、中国などから強制連行された人も多く働いていたことを忘れることはできません。
戦後は一時生産量が落ち込みましたが、農薬、蛍光灯や塩化ビニールの製造に欠かせないものとして、再び増産されていき、一番多いときで200トンを超えるほどになりました。しかし、安い外国産の水銀が入ってきたこと、さらに水俣病をはじめとする公害問題によって水銀の必要性が低下したことから、1973年に閉山となりました。
現在では
イトムカ鉱山の選鉱場があった大町地区(富士見)には、施設を引き継いだ野村興産という会社が廃棄物処理を行っています。特に、水銀鉱山として培った技術を使って、乾電池や蛍光管といった水銀系の廃棄物のリサイクルに早くから取り組んでおり、全国各地から使用済みの廃乾電池、廃蛍光管が運ばれてきます。
敷地内には以前に使われていた選鉱場の建物が現在も残っており、留辺蘂町の登録文化財にも指定されましたが、一般公開はされていません。そこへ続く道が国道から分かれるところにイトムカ鉱山発祥之地碑が建てられており、イトムカ鉱山の存在を伝えています。
イトムカ鉱山
【場所】北見市留辺蘂町富士見(イトムカ)
【開設】1939年【廃止】1973年
1936 付近で良質の辰砂を発見
1937 イトムカで水銀鉱発見
1939 野村鉱業による開発が開始
1973 閉山(選鉱・精錬部門は存続)
1974 イトムカ興産が買収、廃棄物処理事業開始
1975 イトムカ興産から野村興産に社名変更
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旧留辺蘂町(北見市)について
温根湯温泉とそこにある世界一の鳩時計で有名な町でしたが、2006年に北見市をはじめとする近隣の市町と合併して新・北見市になりました。
【由来】アイヌ語の山を越える沢道を意味する「ルペシュペ」から
【人口】8,975人(2004年8月現在)
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