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琴似屯田兵村兵屋跡碑
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琴似屯田兵村兵屋跡碑 |
屯田兵村兵屋って何?
屯田兵の制度は、1873年、北海道の開発を急いで行うために、開拓使次官だった黒田清隆の願い出がきっかけでつくられたものです。それには、他にも外国に対する警備、仕事を失った武士に対する新しい仕事、費用の軽減といった目的もあり、多くの人が未開の地に移り住んで北海道の発展のために働きました。
そして、その屯田兵が集まって住んでいた場所を屯田兵村、生活をしていた家を兵屋と呼んでいます。
琴似屯田兵村
琴似は屯田兵村の中でも一番最初に屯田兵が移り住んだ場所です。1874年に建設が開始され、翌年の5月には入植が始まっています。そのほとんどは東北からの人々ですが、それというのも、明治維新の際に、幕府に味方して厳しい処置を受けた藩の人たちが多かったからです。
各人に割り当てられたのは150坪(約500平方メートル)の敷地と、その中の17.5坪(約60平方メートル)兵屋。離れたところに耕作地もありました。全部で208戸もあり、それが整然と区画された中に並んでいたとのことですから、いわば新興住宅地といったところでしょう。兵屋のつくりは一戸建てではありましたが、北海道の寒さへの対策はほとんどなく、冬の生活は厳しいものだったに違いありません。
琴似屯田兵村が終わりを迎えるのは1904年。徴兵令が施行されたことによって屯田兵制度が廃止されたためで、名前も琴似村となりました。
現在はどうなってるの?
屯田兵村として開けたこの場所は、今では札幌市西区琴似となって、市内でも有数の繁華街に成長しています。そのため当時の面影はほとんどありませんが、当時の道路区画、琴似神社はほぼそのままです。
また、碑に隣接して公開されている屯田兵屋は復元したもので、残念ながら当時からのものではありませんが、当時の場所そのままの位置に作ったものであり、その点で貴重なことから国指定史跡になっています。
琴似屯田兵村
【歴史】1874年建築
1873 屯田兵条例施行
1874 屯田兵村の建設
1875 琴似屯田兵村へ入植開始
1878 西南戦争のため、九州へ出兵
1904 屯田兵制度廃止
琴似屯田兵村は琴似村に
1942 琴似村が琴似町に
1955 琴似町が札幌市と合併
1972 区制施行、西区に編入
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札幌市について
開拓史がおかれて始まり、現在は多くの人や物が集まる北海道の中心都市としてにぎわっています。
【由来】アイヌ語の「サッ・ポロ」(乾いた広いところ)、または「サリ・ポロ・ペッ」(大きな湿地のあるところ)から
【人口】1,861,431人(2004年1月現在)
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