ソーラン節発祥之地碑 |
ソーラン節って何?
「ソーラン」と聞いて何か思い出す人も多いのではないでしょうか。そう、すでに札幌の初夏のイベントとして定着した「YOSAKOIソーラン祭り」です。流れている曲をよく聞いてみると「ソーラン」という言葉が確かに入っています。この祭りは高知県のよさこい祭りとソーラン節を組み合わせてできたものなのです。
ソーラン節はニシンが大量にとれていたころに、ニシン漁の作業の時に歌われていたものです。作業歌には「船こぎ音頭」「網おこし音頭」「子たたき音頭」などがあるのですが、その中の、網に入っているニシンを待機していた船に移す時の「沖揚げ音頭」が「ヤーレンソーラン」で始まるので、ソーラン節と呼ばれて、一般に知られるようになりました。
どうして発祥の地なの?
この碑が建っているのは余市町豊浜ですが、他にも、同じような碑が積丹町美国に作られていて、それぞれがソーラン節の元祖はこちらだと主張しています。どちらが本当なのでしょう。
実は、初めてソーラン節が歌われるようになったのがどこか、はっきりしていないようです。それでは、「発祥の地」というのはウソなのでしょうか。
ソーラン節はニシン漁のときに歌われていたということは説明しましたが、ニシン漁は500年以上前から北海道ですでに行われ、江戸時代になって盛んになってきました。はじめは松前の近くだけで許されていたのすが、ニシンの群れを追ってだんだんと遠いところでも漁をするようになります。そして中でもたくさんとれる「千石場所」としてにぎわうようになったのが豊浜だったのです。人が集まり、漁も盛んなことからソーラン節が歌われるようになったという説です。一方美国では、ニシンを大量にとるための、他でも広く使われるようになる漁法が開発され、それをきっかけに歌われるようになったという説明のようです。
ただ、どちらにしても、ソーラン節が突然作られたということはあまり考えられないでしょう。実際、東北地方に、かなり似ている歌がすでにあったようです。たくさんの東北の人が、今でいう出稼ぎのために北海道に渡ってきていたので、ニシン漁の時にその歌を替え歌にしていたものが各地で自然に歌われるようになったのではないでしょうか。
しかし、ソーラン節が、北海道で古くから歌われている大切な歌だということに変わりはありません。
今ではどうなっているの?
1897(明治30)年にはとれすぎて困るくらいだったニシンも、その後は豊漁と不漁をくり返しながらだんだんと少なくなっていきました。1950(昭和30)年ころからはほとんどとれなくなり、「幻の魚」といわれるようになります。現在では、放流などの効果で少しずつ回復しているようですが、最盛期の40分の1程度しかとれていません。漁法も変わっていることもあり、ソーラン節は歌われなくなってしまいました。
ただこのままではきちんとソーラン節を歌える人がいなくなってしまいます。他の町での保存活動に影響を受け、1996年に余市では自然消滅していた保存活動を復活させるために、「余市正調ソーラン沖揚げ音頭保存会」が動きだしました。ソーラン節を残していこうという活動を積極的に行っています。また、毎年7月の「北海ソーラン祭り」は町中にソーラン節が響きわたる、町をあげてのイベントです。
ソーラン節
【場所】余市町豊浜?積丹町美国?
【始まり】1800年代?
ヤーレン
ソーラン(*繰り返し)[ハイハイ]
ニシン来たかとカモメに問えば
わたしゃ立つ鳥 波に聞け
チョイヤサ
エーエンヤーサノドッコイ ショ
[ハードッコイショドッコイショ]
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余市町について
古くからニシン漁で栄えた町で、現在では果物の産地としても知られています。
【由来】ヘビのように曲がりくねった大きな川のある所を意味するアイヌ語「イヨテイーン」から
【人口】23,685人(2000年10月現在)
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