定山坊像


定山坊像(後ろは定山渓ホテル)

その他:北海道三景之碑など

定山坊ってだれ?
 定山坊とは岡山県(おかやまけん)生まれのお坊さんで美泉定山(みいずみじょうざん)のことです。札幌市(さっぽろし)のはずれにある定山渓(じょうざんけい)温泉の開発に力をそそいだことから、定山渓温泉の名前の由来ともなっています。

定山坊と定山渓温泉
 定山渓温泉がはじめて書物に登場するのは、1856年に幕府の命をうけて北海道に調査に訪れた探検家の松浦武四郎(まつうらたけしろう)がこの地に立ち寄った時のことといわれています。
 その後、1866年に定山がアイヌ人から話を聞いて、ここを訪れて、温泉の存在を確認しています。そして、札幌から温泉への道路と休泊所を作るなど、定山渓温泉の開発に力を注ぎました。1871年にはそれが認められ、当時の判官岩村通俊から湯守に任命されています。また、同じ年、札幌からここを通って有珠に達する本願寺道路が完成し、その検分に判官とともに訪れた東久世長官が、定山の業績を高く評価して、「定山渓温泉」と命名しました。
 1874年に開拓使が湯守を廃止したあとも、定山は温泉施設を与えられて、窮乏しつつもその経営に取り組みましたが、1877年に逡巡先の小樽で亡くなったということです。

現在ではどうなってるの?
 定山が開いた定山渓温泉も、定山渓鉄道が開通するなどしたため、訪れる人も多くなりました。鉄道はすでに廃止されていますが、その代わり道路が整備されて、ほとんどの温泉客は自動車を利用しているようです。近代的な建物に一変した温泉街ですが、最近ではかっぱをシンボルとして、8月ころにかっぱ祭りがおこなわれるほか、あちこちにはいろいろなかっぱ像が置かれています。

定山坊(美泉定山)/定山渓温泉

【歴史】
1805 定山が備前(岡山県)で生まれる
1856 松浦武四郎が訪れる
1866 定山が初めて訪れる
1871 定山を湯守に任命
   本願寺道路が完成
   正式に定山渓温泉と命名される
1874 湯守廃止、定山坊が独力で管理
1877 定山が小樽で亡くなる
1918 白石〜定山渓に定山渓鉄道が開通
1932 定山渓〜小樽に道路が完成
1949 支笏湖洞爺国立公園に指定
1969 定山渓鉄道廃止

【場所】札幌市南区定山渓温泉
【泉質】ナトリウム塩化物泉
         70〜90度
【効能】神経痛、リューマチ、創傷

定山坊像について

いつでも見学できます
無料
像と碑のみ
札幌市南区定山渓温泉
   (定山渓ホテル敷地内)
0135-23-5915

札幌市について
 
【由来】アイヌ語の「サッ・ポロ」(乾いた広いところ)、または「サリ・ポロ・ペッ」(大きな湿地のあるところ)から
【人口】1,861,431人(2004年1月現在)

ちょっとより道

旧簾舞通行屋 当時の宿泊所の建物で、開拓や定山渓鉄道の資料もあります
 9:00〜16:00休日の翌日・年末年始無料札幌市南区簾舞11

参考 札幌市史
関連 札幌市南区
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