かみもべつえきていかいせつのち
上藻別駅逓開設之地碑
|
上藻別駅逓開設之地碑(上)/
旧上藻別駅逓所の建物(下)
|
駅逓所って何?
駅逓所(えきていしょ)は、入植者や旅人に宿と人馬を提供し、あわせて郵便の業務も取り扱うという制度で、北海道の開拓には重要なものでした。
[くわしい説明]
上藻別駅逓所
早いところでは島松駅逓所が1873年に開設されていましたが、上藻別駅逓所が開設されたのは、かなり遅れて1925年。それより少し前に鴻之舞鉱山が操業を始め、紋別の中心部との往来が盛んとなってきたために設けられたようです。
運営には半官半民の請負制(うけおいせい)がとられ、その運営者は取扱人と呼ばれました。もちろんこれはだれがやってもいいというものではなく、財産などの条件がありましたが、土地、建物、馬があたえられるなどの特典もあったので、希望者を募集したところ、30人近くもの応募があったとのことです。最終的には、上藻別駅逓所の取扱人には高地昇が任命され、以後廃止になるまで、旅人や入植者などに利用されました。
現在はどうなってるの?
1948年に駅逓所の制度が全面廃止され、施設の跡すらわからないところも多いですが、上藻別駅逓所があった場所はこの碑がはっきりと示しています。また、碑の後ろにある建物は駅逓所を改築したもので、外観は道路からでも見ることができます。しかし、鴻之舞鉱山も閉山してしまった今では、通る人もあまりなく、その建物にもだれも住んでいないようでした。
上藻別駅逓所
【歴史】1926年開設
【初代取扱人】高地 昇
|
|
紋別市について
流氷の町として知られ、砕氷船ガリンコ号が人気を呼んでいます。
【由来】静かな川を意味するアイヌ語「モウペット」から
【人口】28,476人(2001年1月現在)
|
|
|