越川駅逓所記念碑 |
駅逓所って何?
駅逓所(えきていしょ)は、入植者や旅人に宿と人馬を提供し、あわせて郵便の業務も取り扱うという制度で、北海道の開拓には重要なものでした。
[くわしい説明]
越川駅逓所
官設となる以前からも私設の駅逓所があり、この地方では斜里駅逓所が古くからありましたが、越川駅逓所は1894年の新設です。
場所は斜里から標津、つまり北見国から根室国へと越える山道の中間で、名前も、道に沿っていた川が根室へ越すための川だからということで、越川駅逓所とされました。それ以前は、この50キロメートル以上の山道には1ケ所の駅逓所しかなく、冬期には通行が困難でした。そのため、途中に休んだり泊まったりできる休息所が設けられています。しかし、駅逓所に比べ設備は整っていなかったので、正式の駅逓所が設けられることになりました。
網走と釧路とを結ぶ鉄道が徐々に開通し、その存在価値が薄れてくると、多くあった駅逓所もしだいに廃止されていきます。ただ、越川駅逓所はその後も残されて、1941年まで旅行者や入植者の通行に利用されてきましたが、周辺の開拓が進んだことからついに廃止となりました。
現在はどうなってるの?
かつて山道だった道路は国道244号線としてすっかり整備されています。しかし、この道路を通る車はそれほど多くなく、運行されていたバスも廃止されてしまったようです。同様のルートを通るはずだった国鉄根北線も一部が開通しただけで廃止となりました。
そのため、周辺はひっそりとしていて、時折通り過ぎていく車も、この碑に目を向けることはないようです。碑の後ろにある廃屋が駅逓所に関連あるかどうかはわかりませんでした。
越川駅逓所
【歴史】1894年開設 1941年廃止
【初代取扱人】中山道
|
|
斜里町について
知床半島にある町として知られ、自然がたくさん残っています。
【由来】葦の生えている所を意味するアイヌ語「サルイ」から
【人口】13,453人(2003年4月現在)
|
|
|