北海道鉄道開通起点 |
鉄道のはじまり
現在、北海道の鉄道といえば、ほとんどがJR北海道の路線です。あとは、池田町と北見市を結ぶちほく高原鉄道、札幌市には地下鉄と路面電車、函館にも路面電車が残りますが、ほぼこれで全てです。
しかし、昔からこうだったわけではありません。JRは、以前は全国で一つの国鉄(日本国有鉄道の略)として、今よりももっと多くの路線を持っていました。また民間企業が経営する私鉄も多く運行されていました。
北海道での鉄道の始まりは、小樽市手宮と三笠市幌内を結んだ「官営幌内鉄道」で、これはのちに手宮線と幌内線、函館本線の一部となるもので、石炭の輸送を主な目的としていました。同じような路線は他にもいくつかあります。私鉄の中でも「三菱石炭鉱業大夕張鉄道」は、石炭と地域住民の輸送に活躍し、車内に暖房のためのだるまストーブ(だるまの形の石炭ストーブ)が置かれていたことで有名でした。また、石炭だけでなく、農林水産物の輸送手段としても重要視され、隅々まではり巡らされた鉄道は地方の開発に貢献してきました。
その他、北海道独自の「植民軌道(簡易軌道)」というものもあり、その名のとおり施設が簡便で済むために一時は数多く作られました。代表的なものは歌登町の「歌登町営軌道」で、唯一全国版の時刻表にも掲載されていたそうです。それ以外に、一般の人が乗れない森林鉄道、鉱山鉄道といったものもありました。
時代の変化
しかし、そのようにして北海道の発展に貢献した鉄道ですが、しだいにその数は減っていくことになります。それは、人口が都市に集中し地方に住む人が減少、道路が整備されるにつれ自動車が普及し、エネルギーの主役が石炭から石油に変わっていったことが、大きな影響を与えていきます。道内の鉄道の多くが、石炭の輸送を目的に、また地方の開発のために作られていたためです。
また、国鉄の経営の仕方も問題でした。あまり利用者がいないようなところに路線を作っていったことなどで、赤字が増えていき、どんどん積み重なっていきます。無駄を省くなど、できる限りの努力はしていましたが、その一方で新しい路線は作られていたので、あまり効果はありませんでした。結局、赤字が大きい路線はほとんど廃止となり、地域ごとに分割された民間会社として再出発をはかることになりました。
これからの鉄道
現在では私鉄はひとつもなく、JRの路線でも、利用者の少ないものはのきなみ廃止され、鉄道のない市町村も多くなりました。鉄道があっても、郊外では乗客がほとんどいないということもあるようです。そして、その一方で、道路網は着実に整備されて、高速道路も次々に建設がすすめられています。自動車は一般の家庭に完全に浸透し、家族一人ひとりが1台ずつ持つこともめずらしいことではなくなりました。
では鉄道の役目はもう終ってしまったのでしょうか?
最近は鉄道の価値が再び見直されてきています。それは交通渋滞や環境汚染が深刻化してきているからです。日本ではどんどん数が少なくなっている路面電車も海外では都心部でのクリーンな交通機関として注目されています。同時に自動車の通行が制限されているので、渋滞に巻き込まれる心配もありません。そして、日本でも同じような動きがあるようで、札幌市では路面電車の路線を延長して循環化が計画されています。
また、鉄道には時間の正確さ、人や物の輸送量、スピードなどでの利点があり、そのために新幹線をはじめとして年々改良が加えられています。
そういったことから、今後の鉄道は昔とは少し役割を変えた形で存在し、北海道の発展のためにも活躍していくことでしょう。
北海道の鉄道
【歴史】
1880 官営幌内鉄道、手宮〜札幌開業
1882 札幌〜幌内開通、全線開業
1889 北海道炭礦鉄道へ譲渡
1906 国有化
1985 手宮線廃止
1987 幌内線廃止
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